タイがいい
自分達はライバルと思っているのに相手(日本)がライバルとは見なしていない事に苛立ち、反日の嵐が思い出したように湧いて出る大韓民国と、
日本を悪者にまつり上げ、敵対視することで国民が政府に抱く不満を逸らし続けている中華人民共和国の、精神的な大人気ない暴虐行為にいささかウンザリしている今日この頃、
たまたま手に取った週刊誌に思わず「御意っ!」と叫びだしたくなるコラムを見つけた。
ちょっと長くなって著作権が気にならないわけじゃないけど、臆面もなく引用。問題があれば削除の憂き目かな?
−−−−−引用はじめーーーーー
㈱新潮社発行 週刊新潮 (’06)3月2日(創刊50周年記念)特大号200頁
連載(189)「変見自在」 著:帝京大教授 高山正之氏
欧米列強がアジア諸国を支配し、阿片を売りさばいていた時代、何とか独立を保っていたのが日本と中国とタイだった。
それで日本は中国の青年を日本に留学させ、近代化を急がせ、いつの日か手を携えてアジア諸国の自立支援を図ろうとした。
魯迅、周作人兄弟も周恩来も蒋介石も汪兆銘もそれで日本に学んだ。
留学できない若者のために日本政府は上海や南京に大学を開いた。江沢民はそこで学んで今でも流暢に炭坑節を歌える。
しかし中国人は孫文の行動が示したように、そういう大義より自分の栄華の方に関心があった。
蒋介石は日本を裏切り、アジア諸国を見捨てて米国のカネになびいた。
周恩来はロシアになびいて日本を陥れた。その衣鉢を継いだ江沢民は反日で食える道を開いた。
信義を忘れた中国と対照的なのがタイだった。
中国を支配した満州民族の清王朝が孫文に倒されて故郷の満州に戻ると、孫文はその満州まで中国領だと言い出し、それを背景に満州事変が起きる。
ユン・チアンの「マオ 誰も知らなかった毛沢東」によると張作霖暗殺も毛沢東の仕業らしいが、いずれにせよ日本は国際的に孤立していった。
そして国際連盟に日本非難決議が出される。ここでタイは列強に媚びず、勇気ある棄権票を投じた。
第二次大戦でもタイは、日本に領土内の無害通行権を与えた。日本軍のマレー作戦ビルマ作戦など欧米列強を追い出せたのはこれがあってのことだった。
タイは日本に唯一、味方したアジア国家だった。
戦後は小国の知恵として米国においた亡命政権のおかげで日本への協力は不問に付され、すんなり戦勝国側に加われた。
しかしタイは、枢軸国仲間でありながら戦後、日本に賠償をたかったイタリアとは大違いだった。
大東亜会議に参加して東条首相らと「白人支配からの解放」を謳ったワンワイタヤコン殿下は戦後、国連議長に就任するや、日本の国際社会復帰、特に国連加盟に尽力してくれた。
外交下手で騙され易い日本。タイはそれにつけ込むこともなく、困ったときはそっと手を差し伸べて助けてもくれたのだ。
そのゆかしさの対極にあるのが朝鮮だろうか。
日本はこの国にも中国と同じに近代化を促し、留学生を迎え入れた。しかしやってきた連中は「まず金庫荒らしをした」と福翁自伝にある。その落胆が「支那朝鮮に特別の会釈に及ばず」という脱亜論の言葉になったのかもしれない。
実際、国家としてもルーズベルト大統領が匙を投げたほど不能で、そのために日本は日清、日露戦争を戦う羽目に陥り、十二万の兵を死なしている。
戦後、この国は独立するが、国政の基本が反日。日帝支配の非難から始まって李ラインに反日法に、最近では日本の国連安保理常任理事国入りにも断固反対を貫いている。
今、この国の様子がテレビで流される。学者がインチキ論文を書いても箸が転がっても大騒ぎして腹を切るわ、指を切るわ。国会でも街頭でも労使紛争でも乱闘しては泣き、叫ぶ。
そんな国民を三十六年間統治して一度しか騒擾事件がなかったのはいい治世だったからではないのか。
この国はまた、誰も干渉しないのにまだ南北に分かれたままだ。
北は拉致に偽ドル覚醒剤にまで手を染めているのに、南側はよその国のことと知らんふりを決め込む。
そのくせこの外相が来日して「南北統一は日韓が協力して」とか言う。
お互い五輪では統一チームを作る仲だろう。いつも悪口を浴びせる日本に頼らないで、自分たちで始末をつけたらどうだ。
その外相が今度、アジアから出る番の国連事務総長に立候補を決め、どの顔を下げてか、日本に支持を頼んできた。
日本は反日を言い募るのをやめれば考えてもいい風な「じらし作戦」(産経新聞)をとるという、つまり指示の方向だ、と。
ちなみにこの対抗馬にはタイのスラキアット副首相が立つ。
日本がこういう機会に恩返しするのは、嘘と悪口を並べたてる下品な国ではないはずだ。
−−−−−引用終わり−−−−−
以前、冷夏で米が大幅に不足した年、我が家でもタイ米を食べた。
決して美味しいとは言えない味だったが、食べられるだけ有難かった。
その昔、戦争に負けて惨めな気持ちで引揚げている日本兵や日本の開拓者にタイ以外の国は何をしたか。略奪と暴行の繰り返しだったと聞いている。
しかしタイの国民だけは引揚者に対して、「お国に帰ってもすぐには食べるものもないだろうから」とそっとタイ米の袋を渡してくれたそうだ。
その話を聞かされて自分の口には合わないタイ米を何とか工夫して食べてみようか、という気にさせてくれたもんだ。
数年前、職場の旅行で初めての海外旅行としてタイ行きが計画されたが、例の9・11から始まったテロの応酬の影響ですったもんだした挙句、結局中止。
パスポート申請代金を旅行積立から拠出までしたのに誰を恨むわけにもいかず、ひどく落胆したのを覚えている。
今後、余裕ができて旅行に行くチャンスがあったら、是非タイを第一候補に上げたいと思っている。